作品に対する感想

パラサイトたちが求めた答えとは

作中においてミギーは極めて異端な存在である事は、読み進めていけば分かるだろう。直に自分たちが殺すべき存在だった人間の、それも右手に取り付いて宿主と直接会話を交わしている時点で、彼が同族から極めて危険な存在である事は疑いようがない。だからこそ同族からも、そして人間からも狙われることになる新一とミギーだった。その泥沼な状況になりながらも必死に、そして自分なりに事態を把握することに捉われながらも苦悶する新一の姿は人間らしいの一言だ。

ただパラサイトたちにとってみれば人間は殺すべき存在なのは言うまでもないが、行動が激しくなればなるほど人間社会でクローズアップされてしまい、自分達の活動に影響をもたらすことを学習する。そのため彼らが選択したのは捕食するにしても、目立たずひっそりと捕食することに留まっていく。やがて人間に取りついた時点で人を食い殺すことで表沙汰となってしまうことも理解して、ひっそりと人間に擬態して生活していくことを選ぶ。ただそうした生活の中でも彼らにとって人間は殺すべき存在であり、同時に人間は彼らにとって『食事』でもある。殺さなければならないが、殺すためにはまず自分達の体を動かすのに必要なエネルギーを獲得しなければならない。

ただ中にはミギーのように人間の食事を摂取することへ完全にシフトしたものもおり、それでも生存し続けるだけの可能性を示している時点でもはやパラサイトとしてではなく、一人の人間として行動していることも意味していた。彼らにとって人間を殺すことは自分たちが生きるために必要な欲求であり、本能から来るものだと語られている。ただそれでも自分達の存在とは何か、それを見出すことが出来ないでいるのもパラサイトならではの宿命となっている。

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繁殖することが出来ない

作中で非常に興味深い展開があった、主人公である新一が敵である一人の女性パラサイトと邂逅したとき、その女性は知識を持ってして他人である誰かと性交を交わしたという。その結果、彼女は妊娠することになったが、その妊娠した子供は人間なのか、それともパラサイトなのかという疑問が出るが、それに関しては作中でもあっさりと答えが導き出されている。

答えは前者、人間だ。パラサイトは感染した人間を介して生殖活動を行っても、その生まれてくる子供も同様にパラサイトというわけではなく、純粋な意味で人間しかないというのだ。それは脳を捕食して乗っ取るからだろう、つまりは人間に取り付いてもそれはパラサイト本人達ではなく、擬態する事はで来ても彼らの存在は結局後付されただけに過ぎないということを無常に意味している。

そのため妊娠した女性パラサイトは自分達の存在とは何なのかを作中で、常に尋問している。何処に答えがあるのか、どうすれば自分が求める答えにたどり着くことが出来るのか、それだけを追い求めていたようにも思える。

生物として繁殖することが出来ない、それが何を意味しているのかは種として繁栄することが出来ないことを意味している。ただそれでもパラサイトたちにとっても生きることは何より優先しなければならないこと、他の人間に取り付く手段については拒絶反応が出てしまうため不可能となっている。では彼らは取りついた肉体が自壊すればそれで全てが終わりを告げることを意味している。無常よりもはかなく、そして残酷なまでの事実だけがある。パラサイトというのは取り付けば恐ろしい生き物だが、生物学的に見れば行き詰った存在として考察することも出来る。

暗殺教室

本当に怖いのは人間ではないか

作中でパラサイトたちを打ち滅ぼすことを念頭においた行動がとられ、多数のパラサイトたちが後半に差し掛かると同時に殺されていく。今回はそこまでに至る顛末は省かせてもらうが、そうした事態によって、自分達の存在が感知されれば殺されてしまうということも関係して、彼らなりに人間社会に溶け込みながら生活をしている。但しそれも表面的で、影ながらに過激な行動を繰り返している個体もあることを作中で匂わせているが、それよりも印象的だったのは作品の最期を締めくくる言葉だ。

・『何かに寄り添い・・・やがて生命が終わるまで・・・』

この言葉でこの作品における命というもののあり方をまとめきっているといえる言葉だ。新一とミギーにしても、主としては全く異なる存在だったとしても同じ体で共存している関係だったからこそ、お互い生きるために必要なだけの協力をしてきた。それは新一たちと敵対していたパラサイトたちにも共通していることだ。彼らの活動が活発化することで人の死が情報として伝播していき、それによって警戒をしなければならないという知識をパラサイト達は持つようになる。結果、捕食するにしてもタイミングと量、そして隠匿して行うを念頭に行われていった。この活動もまた協力してこそ出来るものだ、一人の力で無秩序に人間を捕食してはやがて世界に断罪される。

一人で生きる事は決して単純なことではなく、また人は生涯を通して一人では生きていけないことを伝えているといえる。このメッセージ性は最終回までに凄惨な死を経験しながらも、そこにパラサイトならではの生きるために必要な行動だからこそ人間を狩っており、人間も同様に自分たち以外の動植物を捕食して生きていることを考えさせられる。ただ人間の場合、パラサイトたちを狩るのは生命活動に必要だからではなく、自分たちに害を為す存在だからこそ排除しなければならないという理由からだ。良く考えるとこれは非常に恐ろしい価値観なのかもしれない、そして同時に我々にとってそれが日常的であり、そして常に行われていることを自覚する。寄り添いながらも生きるために必要だから、その常識に縛られているからこその人間的行動は世界としてみれば悪なのかもしれない。

イマドキ、ウェブコミック

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