見所として

哲学的な場面がちりばめられている

寄生獣という作品は単純に人間が捕食されていくだけの作品では無い、むしろそうしたシーンは後半になればなるほどあくまでオマケ程度としてみるべきところかもしれない。ではこの作品の最大の見所として何かがだ、簡単には答えを提示することは出来ないかもしれない。ただ筆者個人の意見として述べさせてもらうなら『生存本能』という点でどことなく、人間としても、パラサイトとしても共通しているところがあると考えている。ただこれも作中においてはほんの一部のテーマ性に過ぎない、それも断片的なものだ。作品の中で感じられる世界観とそこから織り成すテーマで人によっては受け取り方は千差万別となるだろう。だからこそここからはあくまで個人の主観じみた意見で統合されることを最初に記載しておく。それくらい、この寄生獣という作品が奥深いということだ。

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あくまで生きるために

そもそも寄生生物、パラサイトたちが何処から来たのかという疑問点もあるが、彼らの行動原理は物語当初こそ、とても獣じみた原始的且つ、生物としての本能をそのまま体現したものとなっている。最初に寄生した人間の脳を捕食することでその人物を取り殺すと、そこへ何処からかある命令が下るとも作中のとある人物が語っている。それは、

・取りついた種を食い殺せ

というものだ。実に端的且つ行動原理として促される理由としては十分すぎるほどだ、つまり当初パラサイトたちにとって取りついた種を全員食い殺す事は本能として刻まれていたということだ。これが誰から命令されたのかは劇中で述べられてはいないが、おそらく生物としての本能から来た命令と見て相違ないだろう。そうしてパラサイト達は人間達を嬲るように惨殺して行くが、徐々に騒ぎが広まっていったことによって自分たちのみにも危険が及ぶことを察知する。

そうして彼らが取った行動は何か、それは環境適応能力の向上だ。主人公の新一に取りついたミギーは取りついた箇所が右手だったことでかなり異色だったが、それが影響して本来なら求めるはずのない人間社会の知識を欲するようになる。現に表立って新一に頼んだのは『言葉というコミュニケーション手段』だ、その後簡単に人間の言葉を理解すると己が求める知識を勉強するためにあらゆる辞典などに目を通していく。元々通常のパラサイトとは違った存在でもあったミギーだが、知識を獲得することで自分というものを理解していくが、それでも彼がパラサイトであるということは決して概念から離れていない。事実、作中ではパラサイトらしい意見で人間を捕食しない代わりに、人間を犠牲にすることを厭わなかったため新一と度重なる衝突を重ねていく。

ただパラサイトはパラサイトとして、化物としてではなく1つの生物としての本能に準じているだけに過ぎなかっただけというのを、物語が展開して行くことでより理解することが出来る。

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ミギーという存在

個人的にやはり寄生獣の見所としては『ミギー』の存在だ、彼の存在あってこそこの作品の見所といっても過言では無いだろう。元はパラサイトとして新一を取り殺すはずだったが、彼の抵抗によって右手での顕現をすることとなる。ただそれは後にミギーにとって新一を殺さずに結果として良かったと述べている。

ミギーも登場当初はパラサイトらしく、自分が生きるためであればどんな犠牲を厭わない闘争本能を剥き出しにして行動していた。それも宿主である新一でさえ犠牲にしてもいいほどにだ、だがミギーには新一の体を操作することができなかったため、必然と共存関係をしなければならなかったためミギーにとって新一は当初邪魔な存在だったとも見て取れる。知識を手に入れる事は出来たが、人間というものを理解していなかったためミギーは新一の事もろくに理解することは出来なかったが、幾度となく新一との意思疎通を繰り返していくことで彼は本当の意味で新一を、そして人間を理解することになる。

ただ一貫してミギーの取っていた行動を支えていたのは一つ、『生存本能』というものだ。ある時自身はもちろん、新一にも栄養素が足りないことを指摘して彼に食事をするように勧めるが、金銭を持っていないといったため、事前に通りですれ違った人間達からお金を盗んでいた。新一にしてみれば泥棒をしたとして非難するが、ミギーにしてみれば自分たちが生き残るために必要なことをしたまでだとして断言してしまう。これは危機的状況に陥ればどんなことをするのも厭わない精神状態になった人間と同じだが、ミギーは決して追い込まれていたわけでは無い。

ここがポイントだろう、彼にとっても『生きる事は何より大事』とする価値観を持っており、そして彼にしてみれば共存している新一も『守るべき存在』であることを匂わせている。物語が終盤に近づくに連れて、ミギーは新一に対して絶大な信頼を持つようになり、宿敵との死闘の果てに危機的状況に陥ったときには新一を逃がして自分を囮にするという、自己犠牲を見せるまでに成長した。この瞬間初めてミギーは自分が感情というものを持てたこと、そしてそれによって友達を救うことが出来たことを本当に喜んでいた。

凄惨な殺戮が繰り返されていく中でミギーも、自身が存在している理由について考えているところが随所に見られる。それが何を意味しているか、またはどうしてそんな感情を持つことになったのかについては、それぞれの読者による受け取り方といったところだ。

ただ1つ言うなら、ミギーが作中で話した表現曰く『自分たちにも生きる権利は存在している』ということだ。この『生きる』という言葉はこの作品にとって、最も考えさせられる言葉でもある。

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