悪の教典とは何か

問題作との一言で片付けていいのか

寄生獣という作品はアフタヌーンだからこそ連載することが出来た作品だろうといえる、これは他の作品では中々表現しにくいのは考えるまでもない。コアな作品だからこそ自由さがウリとなっているアフタヌーンがあったからこそ、現在までに名作と語り継がれる作品として存在している。国民的かつ、世界的な人気を獲得しているわけでもなく、連載終了から20年もの時間が経過していることを考えると、寄生獣なる作品も日本だからこそ誕生したという冥利に尽きる。

内容としては正直問題作として語られることもあるが、そこまで問題とされるほどの描写は存在しない。確かに作中で大量殺人が公然と行われているなどのシーンは衝撃を受けるが、最近の映像化作品ではそうした描写も当然のように行われている。実際に寄生獣でもそれらは映像化されているというが果たしてどうなっているのか、少しばかり期待したい。

ただ寄生獣のこうした殺戮シーンにはある程度ルールなるものが存在している、だからこそまだ視聴することができるという人もいるだろう。ただ次に紹介する作品については問答無用でサイコスリラー的な要素がてんこ盛りの『悪の教典』については、寄生獣とは比較にならない混沌とした世界観となっている。筆者もそれなりに話題になったのでさっと見たが、この作品だけは正直見ていられなかったのが本音だ。作品に関しては後ほど語るにしてもキャッチコピーそのものがもはや狂気の沙汰といえるもの。

・『まるで出席を取るみたいに、先生はみんなを殺し続けたんだ。』

この言葉だけでどんな展開を予想できるかは難しくない、本音を言えばかなり勇気を出してみた最後に感じたのは、後味の悪すぎる結末だったということと、今後進んで作品を見たいという感情を呼び起こされることは無いだろうということだ。

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サイコパスとはまさにこのこと

悪の教典における最も見所、といっていいのか少し疑問を呈したくなるがこれは作中におけるクライマックスに続くための必要な展開となっているため仕方がない。早期、というわけでもなく既にキャッチコピーの段階から内容が想像できるだろうと思う、この作品の主人公として描かれている主人公『蓮見聖司』なる男性教諭が物語の最終局面にて自身の生徒達、ならびに自分に不都合な教諭たちをものの無残に銃殺して行くというものだ。

作品が公開された当初、そのあまりの凄惨な内容にメディアから早々に注目を集めることとなる。中でも某アイドルがこれまた宣伝とばかりに称した感想を叩きつけたことでネットユーザーからも、苛烈なまでの意見が殺到することとなる。この時の感想についてはおそらく何らかの取引が為されていたのだろうとも言われているが、そこへそそのかされてまで筆者は見たいとは思わなかった。確かにストーリーとしては完成されたものなのかもしれないが、この物語における人が無残に殺されている瞬間は『殺人』ではなく、『殺戮』という言葉が最も相応しい。

殺されていく生徒、ならびに教師達の中には人間性と言う問題点があったり、過去におけるある出来事などからとてもではないが弁明できないような罪を犯していたりするからだ。ただそれを理由に復讐されてしまうということではなく、ただ一方的に淘汰されていく。まるで果物を食べるときに楊枝を躊躇いもなく串刺すように、蓮見という名の人間による利己的なまでの理由からその生を奪われていく。彼らだけでは無い、そもそも何の罪もない、それもまだ中学生という15年足らずしか人生を生きていない少年少女達、計40名近くが何をしたわけでもなく、ただ蓮見が邪魔だと判断したために悲鳴という名の慟哭、ならびに助けを懇願する悲哀に耳を傾ける事無く、一方的に蹂躙して行くさまは狂気そのものだ。

昨今に見られる猟奇的な殺戮事件の事件を見聞きするたびに、筆者はこの作品の事を思い出す。それも悪い意味でだ、内容の良し悪しといったものではなく本当にこの作品を映像化してよかったと感じている人間がどれ程いるのかと、疑ってしまうからだ。一言でフィクションだから、それで片付けられるほどこの作品は簡単なモノでは無い。まるで現代の混沌とした社会そのものを投影化した作品とも言える今作ほど、問題というに相応しいものだということだけははっきりしている。

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殺戮行為に対しての理由

人間が人間を葬る時には、どんな大義名分を持つべきだと考えた方がより『正義』というものに近いだろうか。人それぞれに正義は存在する、それが戦場という死線上にあるならばその価値観は自信が生き延びるために重要なアイデンティティーとなる。無論人間を殺す事は倫理問題として、また法という統制化における社会システムの中で許されることでは無い事は前提としてだ。それでも人が人を殺す時に用いられる理由には、何かしら意味を持って殺すだろう。

しかし近年ならびに過去、そして今作の蓮見という主人公に関していうならば彼らにとって、人を殺す事に対して『理由』と呼べる意識は存在していないといえる。悪の教典主人公蓮見にとっては、自分に不都合な人間を世界のためだと言い訳して、粛清という名の排除をしているだけだ。つい最近起きたとある女子高生が同級生を殺害、人体解体するという狂気の沙汰とも言える行為についての理由は『面白いから』だという。どちらも違う意味でサイコパスという言葉が当てはまり。筆者からすればどちらの感情も常軌を逸しているといった枠から外れている存在だといえる。有体に言えば『化物』、この言葉が大いに当てはまるだろう。

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